夏の過ごし方 -- 外気からエネルギーを得て生きる
あまりエアコンが好きではない。
どこもかしこも冷やしすぎだ。冬より寒いわ。 キンキンに冷えた室内で寒い寒いと思って、外にでて暖まっていると、他の人が出てきて、「暑っ!」とか言っている。アホかこれが普通じゃ、と思う。
毎年夏は夏バテ気味で乗り切ってきて、夏はバテるもんだと思ってきたけど、今年はバテていない。
飯を最小限しか食わなければ全然暑くないという事に気付いた。
夏は皮膚から熱エネルギーを得れるから炭水化物はあまり必要ないんじゃないか。
キュウリに塩塗ってかじったり、スイカ食べて体温下げたり、川で泳いだりして、余裕しゃくしゃくである。
人間、冬は太り、夏は痩せるものさ。
熱量(カロリー)を摂って燃焼させておいて、暑い暑いといってエアコンで地球を暖めるのは止めて、外部エネルギーを取り込もう。火力発電から太陽光発電に切り替えるようなものだ。
地球から生まれた人間が、地球で生きられないはずはないじゃないか。環境は敵対ではなく適応するものである。
理論編
生命活動維持に外気のエネルギーを利用できることが信じられない人のために。
ヒトの体温調節より、人体が一定の温度に保たれるとき、以下の等式が成り立つ。
M = E ± R± C ± S
- M:代謝による熱産生量
- E:蒸発
- R:輻射
- C:伝導,対流
- S:蓄熱量
身長172cmウエスト70cmの人体を37°Cで保温(S=0)することを考える。
放射率表より皮膚の放射率は0.99、服は0.95
2-14. 種々の物質の熱伝導率より綿の熱伝導率は0.03、綿布は0.08(W/m K)
蒸発はとりあえず0とする。
これを ★ 熱の計算: 放熱に入力して計算する。
冬 (外気0° 3cm厚の綿):
M = 0 + 36×1.72 + 41×1.72 + 0 = 132W = 113kcal/hr
夏(外気37° 綿シャツ一枚):
M = 0 + 0 + 0 + 0 = 0W = 0kcal/hr
めっちゃ大雑把だけど、言いたいことは、冬は体温を維持するためだけでかなりの熱量を産生する必要があるが、夏の暑い時間は外気温だけで保温できるので、熱を産生する必要がない。ということ。
発汗によって失われる水分やミネラルは補給する必要があるが、糖はいらない。
バリの家と祭り
先週の火曜日まで、家族でバリに行っていた。山の方のウブドっていうとこ。
家
バリの街は、縦横にジャラン(jalan,通り)が走り、それぞれのジャランから無数のルマー(rumah,家)や寺院がビッシリと密接して生えている。
ルマーは家と訳されるが、実はひとつのルマーの中には複数の家族(親戚)がそれぞれ一軒屋を建てて生活している。今回はルマーの一つにホームステイした。
ルマーは結構広くて、ちょっとした分譲地くらいの面積がある。ジャランと直交してルマーの中にも小径(こみち)があり、一軒屋は小径の両側に並んでいる。
各核家族が住む一軒屋はこの小径に面して建てられていて、背面を除く三方に窓がある。ルマーはジャランに通じる小さな門を除いて塀で囲まれている。 塀の中で、内側を向いて生活をするので、空間的に閉じていて、隣を意識することがなかった。
構造だけで言うと、大門が一個だけあって、周りをお濠で囲った昔の吉原を縮小したものに一つの大きい家族が住んでて、それがズラーっと並んでるような具合。
日本では、と一般化はできないが、僕の近所は、四方に窓がある家が、裸でポコンポコンと建っていて、家同士の距離はそこまで詰まっていないものの、見通しが良いので、まあなんというか心理的に相互監視的な気持ちになりやすく、プライバシーの確保できるバリの家の造りが羨ましかった。家族内で腫れ物にされたらつらいだろうけど、ジャランに一歩出れば外の世界なので、よし。
祭り
タイの田舎では、人は1日2時間を2ヶ月しか働かないらしい。米の植付けの一月と、収穫の一月。後は家庭菜園の面倒を1日15分も見てやれば、食うには困らない。暇だから、タイでは祭りがしょっちゅうあるんだそうだ。自給自足がいいかはともかく、自由時間が多いのはいいよね。
バリも祭りが多い島だ。ヒンヅー教と土着信仰が融合したバリヒンズー教徒は、島内の人口の90%以上を占める。この動画はちょうど泊まっている間にあったクニンガンという祭りで、日本のお盆に相当する行事を、上の写真の門から撮影したもの。
獅子舞が神輿のように練り歩けば、だいたい同じだ。こんなのや、もっと全然すごいのが年に5回くらいあるらしい。加えて、各コミュニティーには必ず4つの寺院(プサ:ヴィシュヌ, デサ:ブラーマン, ダラム:シヴァ, 墓地:ドゥルガ)があって、それぞれでケチャをやったりガムランをやったりするもんだから、それはもうしょっちゅうお祭り事をやっている。
親戚が集まって暮らしているので、仕事の役割分担ができて、みんな時間があるようだ。
この動画は、クニンガンの動画にも映り込んでいる寺院の庭で、毎週2回披露されるケチャダンスの冒頭部分。
日本にもそこら中で祭をやってた時代があったのに、いつの間にかスカスカになってしまった。若者はみんな経済の歯車にされに都会へ出てしまって、祭りは爺ちゃん婆ちゃんが準備したところに行くものになってしまった。
僕が今住んでいる在所では行事といえば川掃除とお宮掃除と新年会くらいしか残っていない。
冒頭のタイの話のように、日本にも農閑期という、仕事をしない期間があって、農閑期の遊びというのがあった。神社の境内の野舞台で演る素人歌舞伎とか浄瑠璃とか襖カラクリとか、準備は忙しいけど、それが楽しいからやるんじゃという本気の遊びを村人みんなでやっていたんだ。
もっと日本中盛り上がってパーッと晴れやかなお祭り国家にならんかな!ちょっとジメッとしすぎじゃないですか今。 祭りって何箇所か残っているというのでなくて、国中上から下までどこもかしこもやって、きちんと鎮めるのが本来だと思う。
終わり。
迷惑ってなんだ
なんかもうずーっと変だなと思ってるんだけど、人に迷惑をかけたらいけないって風になってるのはいつからそうなったんだろう。
人間は生まれたときから死ぬまで徹頭徹尾迷惑な生き物なのに、それに迷惑をかけるなって言うことは、生きるなって言うようなもんじゃないか。
みんな生きてるだけで温暖化ガスを排出してるし、せいぜい70kgの体を移動させるために1tの鉄塊を引きずり回すような社会で迷惑とか言ってるの変だぜ。
考えてみれば関わった人間は迷惑ばっかりかけてくるし、でも別にそれをいちいち迷惑だなとか思わないじゃん。なのに世間に迷惑をかけないようにって怯えてるのはただの被害妄想じゃないか。
迷惑って言うやつに迷惑してるぜ
脳を裏返す
去年の、球は裏返しても同相だから、内側と外側に明確な区別はなくて、星も宇宙もひっくり返すことができるという話*1の続き
今日は脳を裏返す。
議論をシンプルにするために、正確さを惜しげもなく犠牲にしたこの図を見て欲しい。
網膜が外に向かって開いていて、網膜は脳の一部だということに注目する。
これを裏返すとこうなる。
わかりやすい言葉を使うと、白が体で、緑が脳と感覚器がアクセスできるエリア。
人それぞれが自分の体の内側を持ってて、外側の同じ空間にいろいろな人が生きているというイメージを持っている人が多いと思うが、
実はそれぞれの脳の中にそれぞれが住んでいるのだ。
もちろん住んでいるのは人だけではなくて、魚も星も植物も色んなものがそれぞれの内側に住んでいる。
今まで自分の外側にあると思っていたこんな景色は、いつだって自分の脳の中身だったんだ。
2018年トーキョー
注: この記事では、東京に住んでいる人を批判するつもりはありません。
半年ぶりに東京に行ってきた。みんな黒っぽいコート着てた。
超大雑把に言うと、
みんなと同じように考えて暮らしていれば、お金に困らなくて、ビッグデータの機械学習によってパーソナライズされた広告の中から、服でも美容でも好きなもの買えるし、世間と合わないなと感じたらADHDの診断受けてコンサータを飲めば適合できる。っていう社会だった。
スマートスピーカー見たけど、あれが「OK Google」に反応できるってことは、家庭の音をずっと撮ってて、音声認識のためにサーバに照会しに行ってて、音を文字越ししてビッグデータにして、それをAIに食わせて広告出したりできるわけじゃんか!ほんとにどこまでやってるのか知らんけど、これが無規制ってやばいよ。
わかりやすい論文というか書評: ci.nii.ac.jp
ニトリのペッパーはいつセネパルハイバンがおかしくなるかわからないようなセリフをしゃべってた。 www.youtube.com
大阪の方まで戻ってくると安心する。東京怖かった。
本は良いのあった。
ナチュラルインターネットに接続する
修行のつもりでいろんな声に耳を澄ましてたら、その日に起きた色んなちょっとしたこと(人との会話とか、気象とか、自分の身体感覚の遷移とか)がそれぞれすごい量の付随情報を持ってることに気付いてきてて、その中には偽の情報もあって、画面見てないのにインターネットに繋がってるような気分になることが増えてきた。昔の人はこのネットワークに接続しとったんやな。
実物のインターネットの方はもうやばくて、ちょっと前まであったパソコンの世界のモラルみたいなのが全部どっかにいっちゃった。何かをしたいと思ったらまず利用規約とプライバシーポリシーに同意させられて、どこもかしこもターゲティング広告だらけで、すぐクレジットカード登録させようとしてきて、スマートスピーカーもウェブカムもなに撮ってるかわかんないし、なんでもかんでも位置情報取ろうとするし、やることなすこと全部データにされて売り物にされて、昔だったらみんな怒って叩いて何とかなってたものがスマホの普及でluserが増えてもうユーザを屁とも思ってない会社が増えた。*1
こうやってみんなマトリックスにハメ込まれていくんだ。
人と技術の関係はすでに逆転してて、色んな大物がAIが危険だって言ってるのはこの流れのままシンギュラリティを迎えたらやばいってことだと思う。
企業がユーザを食い物にする社会から、人々の手に技術が戻って、自然、化学、文化の繁栄に役立てられる社会に変えていく必要がある。
やっと自分の敵が見えてきた。
May the force be with us.