標高+1m

Don't be rational.

テレパシー

テレパシーはあるし、誰でも使っている。気づいているかそうでないかだけであって、気付いたら磨ける。

蟻は一匹一匹で思考するのではなく、巣が思考するというのは有名な話。夕方にカラスの大群が空でカーカー鳴きながらぐるぐる飛び回る時、彼らは群としてなんらかの思考を形成しているはず。

(ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版 | ダグラス・R. ホフスタッター, Hofstadter,Douglas R., 昭弘, 野崎, 尚紀, 柳瀬, はじめ, はやし |本 | 通販 | Amazon)

現代の文明社会における人類は、個体の自我というものが肥大するようになっていて、コミュニケーションも五感に限定されると考えるようにできている。

しかし一匹の蟻に、他の蟻たちと交信する能力があるならば、人体にそれがあってもおかしくない。 つまり、神経の塊である脳による思考ではなく、外在化した思念や、場を通じた暗黙のコミュニケーションが存在する。

科学的な視点から見ると、蟻は体液などを利用した化学的な方法を用いているとか、鳥や魚の群れの動きはboidsのような個体が従う単純なルールから創発するということになるが、ここで問題にしているのは、創発した結果が何らかの思考に類する現象ではないかということ。

心臓の拍動は息を吸う時に早く、吐く時に遅くなる。心臓に意識を向けてゆっくり呼吸をすると心拍の変動が一定になり、安定した周期で拍動する様になる。ジョー・ディスペンザ著『超自然になる』によると、この時、脳の各部位での脳波の位相が揃う(コヒーレンス)という測定可能な現象が起きる。さらに、このコヒーレントな心臓-脳の動きは、心臓が作り出す電磁場を通じて周囲の人に伝播するという。

(超自然になる ― どうやって通常を超えた能力を目覚めさせるか ― | ジョー・ディスペンザ, 東川恭子 |本 | 通販 | Amazon)

体の感覚に意識を向ける。自分の脳で色々考えるのをやめてしまえば、湧き上がってくる感覚というのは全て受信したものだけになる。

自分の脳で考えていない状態というのに達するのには訓練がいる。これについては記事を分ける。

VRのリアリティー(現実性)が現実の現実性に追いつくことはないし、同じ理由でAIが人間と同等の能力を持つこともない。感覚が五感に限定された世界は模倣されうるし、限定された思考能力はコンピュータに凌駕されうる。その領域に留まるならば、生身の人間である意味はなくなっていく。

感覚に意識を向けていくと、身体の7つのチャクラのどこかにエネルギーが鬱積しやすいことに気づくかもしれない。私の場合それは第一チャクラで、性エネルギーであった。これについても詳しくは別の機会に書く。

電磁波過敏症がつらくなってきたので一旦ここまで。